Hatsuko Endo Brand Story since 1905
100年前も、今も。
銀座で女性の美しさを追求し続けています。
日本の女性を心より美しく。
すべてはこの想いからはじまりました。
“美顔術”という近代美容の新しい概念を提唱し、
銀座の街に日本初の総合美容室を創業したハツコ エンドウ。
素肌美を生み出すエステティックと化粧品、
画期的な着付け、個性を引き出すヘア&メイク、
貸衣装、花嫁衣裳の創作、ウェディングドレスの販売…
常に時代に先がけた新しい提案を続け、
一世紀以上にわたり、女性の美をトータルに演出してきました。
初代より受け継がれてきた伝統と真心に
磨き抜いたテクニックとモダンな感性を織り交ぜて…
100年前も、今も。
トータルビューティーを手がけるトップブランドとして
女性の美しさを追求し続けています。
美顔術
「まず根本的に肌を美しくすることから始めなければ真の美は生まれない…」という思いから、初代・遠藤波津子は日本初の近代美容“美顔術”を提唱。新しい概念である“美顔術”は当時の流行語にもなり、現在のフェイシャル・エステティックへと繋がっていくことになります。
銀座
明治38年、婚礼の着付けを行う美粧部と、髪専門の結髪部を併設した日本初の総合美容室・遠藤理容館を銀座七丁目に開業しました。それから100年以上にわたり、日本文化の発信地であり続ける銀座という街で、女性の美しさを追求しています。
婚礼衣裳のレンタル
戦後の厳しい状況下にあって物品や衣裳が不足していた時代にも、美しい花嫁を創ることをあきらめなかったハツコ エンドウ。多くの女性たちの要望に応え、それまで日本の慣習にはなかった“貸衣装”(婚礼衣裳のレンタル)をはじめました。
世紀のご成婚
昭和33年12月、宮内庁より連絡を受け、翌年4月に控えた皇太子殿下ご成婚の美智子妃殿下の美容担当を、三代目と襲名間もない四代目が拝命しました。日本中が祝福ムードに包まれ注目を集める中、大役を果たしました。
花嫁衣裳の創作
美容家の立場から、出来合いの衣裳に満足することなく、“本物”にこだわり続けた四代目・遠藤波津子。昭和40年、熟練の技を誇る最高の職人とともに花嫁衣裳の創作をはじめました。当時、日本の婚礼において美容家が花嫁衣裳を創作するということは画期的なことでした。
トータルビューティー
創業以来培ってきた美容・エステティックの技術に、花嫁衣裳のレンタル・販売が加わることで、女性を美しくするためのトータルビューティーを手がけるトップブランドへと進化。現在も様々な分野で、日本の女性の美しさを提案し続けています。
Brand Movie
ハツコ エンドウのブランドムービーをご覧いただけます。